「沢田さん」
彼が、私の名を呼ぶだけで、子宮がキュッと収縮するのがわかる。
「緊張してます?」
小刻みにコクコクとうなづいたが、河本君は表情をかえずに、
「大丈夫ですよ、ただの練習なんで。リラックスして下さい」
と、こともなげに言う。
君が相手だから、緊張してるのに。そんなこと言えるはずもなかった。
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河本君は、以前飲み会で知り合った1つ年下の友達で、ゴシップ誌の編集者として働いている。彼から流れてくるフェイスブックの記事はいかがわしいものばかりだ。興味津々で読みはするものの、いいね! はなかなか押せなかった。
特にイケメンというわけでもないのに、彼はよくモテる。無愛想で一見冷たそうに見えるのだが、案外人懐こく、よく笑う。様々なジャンルの本を読んでいて、知識も豊富だった。「性豪」と噂されていて、実際に彼とセックスしたことある女の子たちは「すごかった」「よかった」と口を揃えたように称賛していた。
彼なら、私の悩みも引かずに聞いてくれるかもしれない。そう思い立ち、「久々に飲みませんか」とDMを送ると、即「いつにします?」と返信が来た。
「沢田さんから連絡くるなんて、びっくりしましたよ」
待ち合わせの居酒屋に現れた河本君は、身体が引き締まり、頬がこけて目がギョロギョロしていた。前会った時より、髭が伸びて男らしくなっていたが、素っ気ないのに意外と笑い上戸なところは、相変わらずだ。
近況を報告し合ったり共通の友人の話などをして、お酒がほどよく回ってきたのを見計らい、本題を切り出した。
「河本君、あのね、折り入ってお願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「あの、嫌じゃなかったら、一回だけでいいんで、私とセックスしてもらえないかな」
「え」
声をあげて驚くでも、怪訝な顔をするでもなく、河本君は「大胆っすね」と笑った。
「ごめん、こんなこと相談できるの、君くらいしかいなくて。君としたなんて、誰にも言わないし、乗り気じゃなかったら断ってくれて全然かまわないし、途中で帰ってもいいから!」
「ずいぶん切実ですねえ」
ジョッキをテーブルに置いてから、彼は静かに言った。
「何かあったんですか」
私は、事の経緯を説明した。昨年彼氏に振られて以来、自信を喪失しっぱなしなのだ。
元彼とは、学生時代から丸7年付き合った。2年くらい前から、よそよそしさを感じるようになったが、長く一緒にいればそういうものなのだろうと楽観していたし、このまま結婚するものと思っていた。
唐突に別れを切り出され、その理由を問い詰めると、最初は「仕事に集中したいから」「支えていける自信ないから」とそれらしいことを言っていたが、最終的に彼が放った言葉は、
「それに、ほら、俺たち、あんまり体の相性も、アレだったし」
だったのだ。
「この人、7年間ずっと気持ちよくなかったし、それを我慢してたんだ! って、すごいショックで」
「うーん」と、河本君は眉をひそめた。
「AV観て真似したり、それなりに頑張ってたつもりだったんだけど、やっぱり全然駄目だったみたい。初体験も彼とだったし、1人しか知らないから、他の人に比べたらよっぽど下手なんだろうなって」
よかれと思ってやっていたことも、彼にとっては退屈でしかなかったのだと考えるだけで、申し訳なさと虚しさで体がバラバラになりそうだった。しばらくは、男の人を見るのさえ嫌だった。
「また同じこと言われるかもって思うと、怖くて誰とも付き合えなくなっちゃったの。だから、一回上手い人に一から教えてもらえないかと思って…」
返事はなかった。
河本君は、不機嫌な顔のまま腕を組んで黙り込んでしまった。
「ごめんね、変な話して。そんなん言われても困っちゃうよね」
「あ、いえ、ちがうんです。今からだとどこのホテルがいいかなと思って」
伝票を持って立ち上がる彼を、見上げる。
「え、いいの?」
「困ってる人はほっとけないタチなんですよ」
河本君は、困ったように笑った。
藍川じゅん
元ピンサロ嬢。アダルト誌にてコラム連載中。著書『大好きだって言ってんじゃん』(メディアファクトリー)が好評発売中。