「じゃあ、お背中にオイルを垂らしていきますね」
枕元のアロマキャンドルは白く細い煙をくゆらせている。
本当は小汚くってカビ臭いお粗末なこの部屋を、充満するラベンダーの香りが異空間に変えていく。
お客さんは「みやぎ」と名乗った。みやぎさんはどうやら偽名ではなさそう。
なまりのある言葉使いから、たぶん九州出身だろうと思った。
「いいにおいするとー、ええ、ばなあ」
「フフ、ええばぁ?なぁ?」
─いいよな。
分かっているけどわざととぼけて聞いてみる。相手に親近感を抱かせるちょっとしたテクニック。
あたしの本名は、あやな。在籍するエステ店では「アヤ」だ。
面倒なのでひねった源氏名はやめた。店長も「アヤナちゃんかー、じゃあ、アヤメ?アヤノ?なんてさ、いいんじゃない?」などど、へらへら笑いながらどうでもいい感じに源氏名をつけようとしたので、少し頭にきて「アヤで」とぶっきらぼうに言った。
それで決まった。源氏名なんてそんなものだ。自分のカラを脱ぎ捨て、風俗で働くために身に着けるアイテムに過ぎない。
風俗エステは、基本はアロママッサージをして最後はハンドサービス。
なので触られないし、舐めたり、舐められたりもない…あ、ナメられることはあるけど。風俗のバイトの中では、サービスで楽なジャンルの業種だと思う。
あたしのお店も含めて、ここ池袋にはこうしたサービスを売りにした風俗店が結構ある。女の子も割と抵抗感なく働けるので手軽なバイトとしても人気みたい。求人サイトなんかを見ると、かなりの数の求人がヒットする。
あたしは求人サイトではなく、友達に誘われてこのエステで働くようになった。その友達は飛んじゃった(連絡なしに来なくなること)けど。
「合わない仕事なら辞めていいけど飛んじゃダメだよね」と、店長も眉間に皺を寄せつつ、「アヤちゃんは辞めないでね」の熱い眼差しをあたしに向け、結局3年もいるから笑ってしまう。
「オイルはココナッツベースのオイルなんですよ。わりと高価なんですぅ。滑りが良くって、他のお客さんにも好評なんですぅ、精油はローズマリーです、精神疲労にとてもいいんですぅ」
いつものシナリオ。完璧に暗記済み。
あたしは、みやぎさんの背中にオイルを垂らしながら、ゆっくりと背筋に沿って滑らせる。
本当は全部うそ。オイルなんて安物。ローズマリーの効能。知らんし。
“知っていますよ、ベテランですよ”って感じで接しないと本当にナメられてしまう。
風俗エステとしてそれなりのお金をもらっている以上、エステティシャンになりきらないといけない。
オイルマッサージは独学。こなしていくうちに段々と慣れていき、平気でうそもつけるようになるから不思議なものだ。
下手なりでも、オイルマッサージは好評で常連さんも多い。
「凝ってますねぇ」
うっとりと、顔を横にしているみやぎさんに目をやりながら、肩を念入りにマッサージする。
「……そうかぁ? あんま気にならん」
「いえ、凝っていますよぉ…」
ドキリとした。わたしは今でも、肩が凝っている人といない人の区別がよく分からないのだ。
「……痛いよ」。みやぎさんのくぐもった声を耳の奥で拾う。
「あ、すみません、いつもの癖で、強く押しちゃいました」
人はみな一様に違う。この人は肩も凝ってはいない。むしろ悪いところはないのでは?と思う体躯だ。男性なのに華奢で、色が白くて、40代というわりには、均整がとれた顔立ち。優しさが滲み出ている。
「すみません。ほんとに……」
あたしは、何度も涙目で謝った。
「いいよいいよ。俺、肌が敏感だから」と屈託のない笑顔のみやぎさんは、そのまま目を閉じた。
自責の念がわいてくる。あたしはキュッと唇を噛んでみやぎさんの右脚の方に回った。よし、今度はそっと、そっと、なでるように、やるぞ。
お客さんは癒しを求めている。忘れていた。細い脚にまたオイルを垂らしてゆく。
つづく
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藤村綾
風俗歴15年。現役デリヘル嬢。風俗ライター。『俺の旅』ミリオン出版にて『風俗珍講座』連載中!日々炯眼な目で人間観察中。